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生と死の境界線

  • 遊笑 鉄線
  • 2014年9月28日
  • 読了時間: 2分

更新日:2022年8月15日

リンゴォさんは死ぬということに対して「生きる場所が変わるだけ」と答えるのですが、モアさんは死んだ後に越す場所が同じとは限らないから、その例え話を嫌がります。そして何時もリンゴォさんに苦笑される。


「彼処に咲いている花たちだって、また同じ場所に咲けるかなんてわからないんですよ?」ってモアさんがやや怒り気味に言うのですが、リンゴォさんは何を怒っているのか全くわかっていません。モアさんもなんで自分が怒っているのかわかってない。


モアさんはリンゴォさんの側にずっといたいのです。でも「場所が変わるだけだから、寂しいけれど悲しくない。それに来世がどんな場所なのか楽しみでもある」というものだから、自分が居なくてもこの人は良いんだってなってわーって頭がぐちゃぐちゃになって怒りながら泣き出すモアさんとか最高ですね。


モアさんは“死=魂(意思/意志)が器(身体)から離れ消える”としか思っていません。だから自分が抜け殻になる前に、その志を残す必要があるのです。なので死後も自分が存在するという真逆の考えのリンゴォさんが、自分の居ない世界でも生きて行こうとするのが許せないのです。


そう考えるとモアさんがややヤンデレっぽく感じてきました。好きな人がいずれ死に、その後自分のいない世界に生まれ変わり、そして自分ではない人間と新たに幸せになる道を歩む ということを考えるだけで気がおかしくなりそうになるモアさん。それでどんどん一人で病んで行くみたいな、私の中のリンモアは何時もこうです。


因みに生き物に平等に訪れる”死”というものを”現象”としてしか捉えてないのがマジェント。そもそも生物すら“代用の利くもの”と思っているのが博士。ディスコはマジェント以外の命は割とどうでも良いと思っていて、アクセルはオモチャ程度にしか考えていない。刺客の人たちの死の認識は結構軽いです。

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